太田 資功(おおた すけかつ)は、江戸時代後期の大名。遠江国掛川藩6代藩主。官位は従五位下・摂津守、備中守。掛川藩太田家10代。

略歴

5代藩主・太田資始の長男。幼名は新六郎。

天保12年(1841年)3月25日、12代将軍・徳川家慶に御目見する。同年6月10日、父・資始の隠居に伴い家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下摂津守に叙任する。後に備中守に改める。弘化4年(1847年)5月26日、奏者番に就任する。嘉永2年(1849年)1月28日、寺社奉行見習を兼任する。嘉永3年9月1日、寺社奉行兼任となる。安政3年(1856年)9月18日、病気を理由にして寺社奉行を辞任する。

文久2年(1862年)正月14日、父に先立って36歳で死去し、跡を弟(資功の四男との説もある)で養嗣子の資美が継いだ。墓所は三島市の妙法華寺。

系譜

父母

  • 太田資始(父)

正室

  • 操 ー 青山忠良の娘

子女

  • 太田清子 ー 板倉勝弼正室

養子

  • 太田資美 ー 実弟もしくは四男



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