皇甫 抗(ファンボ・ハン、朝鮮語: 황보항、生没年不詳)は、高麗の文人、官僚。江左七賢(朝鮮における竹林の七賢)の一人。

本貫は永川皇甫氏。字は若水(ヤクス、약수)。

主要事項

生年は不詳である。1176年に科挙に合格し、その後忠州(現: 忠清北道忠州市)で書記を務めた。特に林椿との交流が深く、皇甫抗が科挙に合格すると林椿に祝われ、林椿が病床に伏した際は皇甫抗が見舞いに訪れた。林椿は皇甫抗を「学識が広く意味は変わらず記憶力が強く文章が豪放で、正直さは琴の糸のようで清廉さは甲の中の鏡のようだった」と評価した。また、「補閑集」にも詩一首が伝えられ、楽章にも長けていたとされる。そのほか、李仁老や呉世才、咸淳や李湛之、そして趙通らと付き合い、詩作と酒を嗜んだ。没年は不詳である。

参考資料

  • 『高麗史』
  • 『西河集』
  • 『補閑集』
  • 『東国李相国集』

脚注


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