ラスティ・トーレス・エルナンデス(Rosendo "Rusty" Torres Hernandez, 1948年9月30日 - )は、1970年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。主なポジションは外野手。プエルトリコ・アグアディーヤ生まれ。右投げ、スイッチヒッター。主にインディアンス、エンゼルスなどでレギュラーをつとめた。

来歴・人物

球歴

トーレスは幼少の頃プエルトリコから移住し、ブルックリンの街中でスティックボールで遊んでいたのが野球との最初の出会いだったという。1966年、18歳の時にドラフトでニューヨーク・ヤンキースに入団、22歳になった1971年のシーズン終盤にメジャーデビューを果たした。翌1972年は80試合に出場したが打率.211と打てず、グレイグ・ネトルズらとの交換でインディアンスにトレードに出された。インディアンスで2年過ごしたあとフランク・ロビンソンの交換要員でエンゼルスに移るが、1975年は出場機会がなく、1977年オフにフリーエージェントとなる。その後ホワイトソックスとロイヤルズに所属し1980年まで出場した。1980年オフにはパイレーツと契約したものの試合には出場せず、そのままメジャーでの経歴を終えた。

野球選手引退後は、"Winning Beyond Winning"という財団を設立して教育も含めた若いアスリートの援助を行っている。幼少の頃のエピソードから、2002年には『スティックボールの殿堂入り』の表彰を受けた。

引退後は指導者を務めたが、2012年、野球教室に来ていた8歳の女児に性的ないたずらをしたとして逮捕され、2014年に懲役3年の刑を受けた。

3度の没収試合

トーレスが現役だった1971年から1980年の間、メジャーリーグでは4試合が没収試合となっているが、トーレスはそのうちの3試合に関わっている。

その1-1971年9月30日
既にテキサスへの移転を発表していたワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)は、この日ヤンキースとRFKスタジアムでセネタースとしての最後の試合を行っていた。ヤンキースの3番で出場していたトーレスは2回に本塁打を打つなど2安打の活躍をしていた。しかし7対5でセネタースがリードして迎えた9回表ヤンキースの攻撃中に、この試合の記念品になりそうなものを求めるファンが多数フィールドに乱入して、スタジアムの土やベースなどを持っていってしまったため、主審のジム・オドムが没収試合を宣言、試合はヤンキースの勝ちとなった。
その2-1974年6月4日
当時クリーブランド・インディアンスに所属していたトーレスは、この試合3対5でリードされていた9回裏に代打として出場、シングルヒットを放ち、チームは土壇場で同点に追いついた。しかしこの日のイベントだった「10セントのビール」に酔った観客が多数フィールドに乱入して収拾がつかなくなり、試合は没収となった。椅子などで殴られ怪我をした関係者も多数出たが、この時トーレスは二塁ベース上にいた。
その3-1979年7月12日
この日予定されていたタイガース対ホワイトソックスのダブルヘッダー第1試合に、トーレスはホワイトソックスの外野手として出場、2回に安打を放ち、この試合のホワイトソックス唯一の得点を挙げている。しかしこの日の第1試合終了後行われたイベントで観客がフィールドにあふれ、暴動まがいの騒ぎを起こしたため第2試合が没収された。

詳細情報

年度別打撃成績

脚注

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Baseball Library
  • Baseball toaster
  • Stickball Hall of Fame
  • 1971年9月30日の試合(Retrosheet)

ラスティアーム

ラスティテーブル

トレス【L.A】 ibisPaint

バルザック「ゴリオ爺さん」あらすじ&相関図で解説 1ページで読める世界の文学

トレリス・パネル